プロフィール

 

  

加藤 さやか  

[鍼灸指圧治療室 香庵 かのん]

 

★ヒストリー

~初めまして東洋医学・1~

小学4年生の時、体育の時間に教師によって頸椎をずらされ、首の神経が常に圧迫され肩の痛みと腕から指先のしびれが後遺症として残り、それをキッカケに近所の指圧の先生のところへ通うようになりました。

その先生のところで施術を受けて何回目かの時、その先生から「実は自分は目が見えない」ということを言われ、ビックリしたのを覚えています。先生の施術では、私がそのことを感じることは全くなかったからでした。先生は「目が見えないのに、見えてるみたい!」と驚く私を面白いと思って下さったのか、その後、先生の施術を受けるたびに指圧の世界のことを少しづつ子供にも分かりやすく教えてくださいました。

時には、新聞紙を切ってきてお札のフリして渡す人もいる、というお話もありました。その時、「でも先生ならそれがウソだってすぐ分かるでしょ?」と尋ねた私に、先生は「病気の人はね、見える所だけが病気になるんじゃないんだよ」と、当時、小学生だった私にはちょっと難しいお話もされてました。 

 

~初めまして東洋医学・2~

中学に入り、鍼灸の先生のところへも通うようになりました。

そこでは、痛くない鍼、温かいお灸、ざっくばらんに話を聴いてくださる先生の治療を受け、高校を卒業するまでずっと通い続けました。その先生は東洋医学のお話を分かりやすく、いろんなたとえ話をしながら教えてもくださいました。専門的な言葉を使われなかったので気づかなかったのですが、後年、鍼灸指圧の専門学校で東洋医学の授業を受けたときに、「あの時の先生のお話すべてが東洋医学(東洋哲学)につながっていたのか!」と初めて気がつきました。それくらい自然な形で養生法やからだを始めモノゴトの見かたなどを伝えてくださっていたんだなぁ、と。

 

現在、私も治療中に東洋医学や鍼灸の説明をするときには、分かりやすく、この世界の面白さもお伝えできればいいな、と思っているのですが、この時の経験がベースにあるようです(^u^*)

 

 

 ~鍼灸あん摩指圧マッサージ師を目指す~

鍼灸学校に入るキッカケとなったのは、高校時代の友人が看護師の免許をとって都内の病院に勤めるようになり、私の住んでいたアパートへ遊びにきたときのことでした。

 

当時、ある劇団に入りたかった私はフリーターをやりながら、オーディションでの必須科目とされていたダンスのレッスンに通っていたものの、その劇団が解散して目標がなくなっていた時でした。

しかも、ダンスで腰を傷め、坐骨神経痛で動けなくなるほどの痛みが消えてはぶり返す、という悪循環の状態。

 

マッサージや鍼灸接骨院などに行っても症状は良くならず「ダンスをやめればいい」といわれ整形外科へ行くと「湿布をはって腹筋しなさい」と言われ、その腹筋の姿勢が取れないほどの痛みでつらい時もあり、どこへ治療を受けにいけばいいのか途方に暮れて、いろんなことに気力がなくなり日々をただ過ごすような状態でした。

 

そんな私に友人が「手に職をもたなきゃだめよ。高校の時、鍼灸院通ってたよね?それを目指したら、ダンスしながら自分のからだも治療できるじゃん!舞台関係の人で同じようにつらくて悩んでる人もいると思うよ!鍼灸指圧の資格をとりなさい!」と言ったことで、鍼灸指圧の専門学校を受験する、という新しい目標ができたのでした。久しぶりに高校時代に通っていた鍼灸の先生を訪ね坐骨神経痛の鍼灸治療を受けて回復し、1997年日本鍼灸理療専門学校へ入学しました。

 

 

 ~鍼灸あん摩指圧マッサージ師になってから開業まで~

2000年に鍼、灸、あんま・マッサージ・指圧師の国家資格を取得し日本鍼灸理療専門学校を卒業しました。

卒業後は4月から自由が丘の治療院に勤務することが決まり、ダンスの公演2作品に出演が決まってすべてが順風満帆に感じていた矢先、眼底出血で失明しかけていることがわかり、即、入院することになりました。

勤務予定先の治療院の院長と副院長がすぐ入院先に面会に来られ、採用は取り消しにすることを伝えられました。また、出演が決まっていたダンスの公演も降板になりました。片目だけの眼底出血でしたが薬の副作用は全身に現れたので外出が数か月できなくなり、引きこもりのような状態で過ごさざるを得なくなりました。

 

それから1年後、鍼灸学校時代、鍼灸治療を受けていた先生のところへ少しづつ治療に通えるようになりました。眼底出血治療後の経過も良く薬の副作用も薄らいで外出ができるようになってきたころ、院長から治療院で週に1回、スタッフとして手伝ってみないか、という提案をいただきました。

そのころには仕事として往診の依頼を少しづつ受けるようにもなっていたので、往診で生計を立て、治療院では、時々鍼灸治療を受けながら鍼灸指圧師としてさらに経験をつむことになりました。ほぼ無報酬での「修行」というカタチでした。

 

それから数年後、治療院での「修行」を続けながら、往診ではおもに舞台関係の方々の治療をしていたのですが「いつも同じ場所に先生がいて、好きな曜日に予約して治療を受けに行くスタイルはできないか?」というリクエストを頂くことが多くなりました。役者さんや舞台関係の方からのご依頼では、リハーサル室や稽古場の隅っこで治療をすることもあったので「稽古やスタジオの貸時間に関係なく予約ができて、いつでも落ち着いてゆっくり治療を受けられる場所が欲しい」とのご希望を頂きました。

そこから約8ヶ月間、たくさんの方に助けていただきながら開業に向けて動き始めました。

 

2005年10月 鍼灸指圧治療室 香庵 かのん を開業(^^)

それ以降はホームページやブログにて、活動内容を報告しています。

 

 

鍼灸指圧師は「コリ」や痛いところがある人を治療する職業ですが、私自身も皆さまから励まされたり、たくさんのことを教えていただいたりすることもとっても多いです。

また治療室は「症状を診て治療をするところ」なのですが、私にとっては「からだとココロが回復していく過程に寄り添える場所」としての思いが年々強くなっています。

皆さまとのステキなご縁の賜物(たまもの)と幸せに感じています。

これはとても 有り難いことです(^人^*)

今後もからだとココロを整えて自分らしい生き方と向き合える場所として、香庵をどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

★加藤さやか★プロフィール(ショートバージョン)

2000年 鍼師・灸師・あん摩マッサージ指圧師国家資格取得。往診を治療の場としつつ、治療院でも臨床経験を重ねる。

伝統的な東洋医学・東洋哲学に基づいた技術の習得・向上に積極的に取り組むと同時に、からだに無理のない自然な動き方にも興味を持ち、現在、指導も行っている。

また、過度のストレスが、からだの症状となって現れることを自分自身が経験したことから、からだへのアプローチによってストレスを軽減していけるからだづくりを行っている。

 

 

2005年 10月 鍼灸指圧治療室  香庵 かのん を開業

現代医学と伝統医学を融合し、からだの変化を実感できる鍼灸治療を実践し続けている。

2015年10月 第43回日本伝統鍼灸学会学術大会にて『顔面部の尋常性痤瘡に対する「天・地・人-気街治療」ー美容への影響ー』発表

2016年11月 世界鍼灸学会連合会学術大会WFASにて『天・地・人ー気街治療を用いた三焦治療~局所が明確でない患者への対応~』発表。

 

 

 

WFAS2016

世界鍼灸学会連合会学術大会口頭発表証明書

鍼灸指圧治療室  香庵(かのん)の由来

私たちのからだには「リズム」があります。

心臓の鼓動、呼吸の遅速、睡眠の深浅、胃腸のぜん動運動など、すべては一人一人のからだの中にある見えないリズムが調和し、ハーモニーを奏でています。

そんな時には「今日はからだの調子がいい♪」なんて感じるのではないでしょうか。

パッヘルベルの「KANON」の曲のように、からだの中のたくさんのリズムとハーモニーが繰り返されながら変化し、調和を保ちながら続いていくように「調子がいい」からだを一緒に目指していく。

そんな毎日の幸せへのお手伝いをしたいとの願いを込めました。